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2019年3月

2019年3月18日 (月)

9.短命と長命

 運動選手は短命である、というのが通説のようだ。このこをある専門化に聞いたことがあった。彼は酸素の吸い過ぎでからだが酸化するからだと答えた。酸化とはからだの錆である。それもあるが、心筋梗塞などもあるようだ。人間の身体は一生のうちにある容量があって、その容量を早く使ってしまったら終わると思う。細く長く使っている人は長命である。例えば寺の住職はそのよい例である。つねに受け身で、自らからだを使うことは少ない。陸上競技の選手など肉体を使うことを職業としている人は、いがいと短命である。それから、ストレスも命に関係がある。ひどいストレスのある人は短命である。破壊された脳がからだを破壊するからだ。いずれにしも、肉体も精神もほどほど使っているほうが長命であるようだ。とはいっても、
 肉体と精神を限界容量を超えなければならない時期が人生にはある。それは自分の自生の最大なチャンスがぶらさがっている時である。幸いにして、そのチャンスを獲得したとしたら、そのつけは短命となってついてくる。しかしそれを怖れてはいけないのであって、その果実はじゅうぶんに満喫することができる。ただ何事もほどほどに日常をすごすことが幸せと思うとしたら、きっと晩年は枯れた稲穂となって、実りの喜びがないどころか、厳しい冬をむかえる前に枯れてしまうだろう。人生も同じである。
 どのように見ても、現役時期によく働いていた人が早死するようである。長生きしている人はどうかすると反省の念がなく、他人からみれば自分勝手といわれそうな人のようである。人のことはあまり考えない人である。自分中心のようである。それでいいではないか。しょせん、みんな他人のことを考えて、というがそれはそもそも自分勝手言うものである。人はおのおの自分の都合の良いように考えて行動しているのだから。他人中心に自分が生きているなんて人はいない。自分の身がかわいいのだ。あたりまえのことである。社会生活のなかでは協力すべきところはそうすへきであって、その外にあって自分の生き方で生きることができるところはそうすべきだから。これは個人主義である。
 裁判官が判決の理由として、自己中心、であると言ったことを思い出した。自己中心がなにが悪い。人はみな自己中心である。そのなから折り合いをつけるのだ。そのような道徳の用語を裁判官は言ってはならない。法に照らして判決すべきである。主題にそれてよけいなことを書いてしまったが、長命は自己中心で個人主義が必要である。

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2019年3月14日 (木)

8.老人と大震災

 いつくるかも分からない関東大震災である。専門家の予想では30年以内とも聞く。その時の最大の犠牲者は老人である。
 関東大震災のことを、調べて見た。大正12年(西暦1923年)9月1日、午前11時58分、マグニチュード7.8の大地震が関東を襲った。震源地は相模湾西部であった。都内48万戸のうち4千戸が全壊、6千戸が半壊して東京神奈川を含めて死傷者が14万人、下町の面影がすっかり消失した。とくに山の手に比べて下町のその被害は2.5倍であった。大正12年と言えば世の中は、第一次大戦の好景気のあとの不況がやってきて、30万人の失業者がでていた時期であった。流行歌で「枯れススキ」がはやった。こんななかで大正モダンといって浅草オペラや活動写真がは浅草の繁華街で盛んであった。
 その地震はちょうど下町では昼飯の時間帯であって火の手が178カ所あがり、火災になって、やがて火災旋風となり長い間、熱風が渦巻いて死傷者が増加した。この震災で浅草の有名な凌雲閣が焼失した。都市火災で怖いのは火災がやがて熱風のとなって渦巻くことによる被害である。東京市街地の4割が消失した。死傷者のなかには100人の消防者が死亡し行方不明になった。寺田寅彦の日記には、水道管が破裂して、危険物に火がついたとある。根津千駄木は木造密集地帯で道路は狭くて、電信電話は不通となり新聞も止まったとある。日本橋、浅草、本所は90%消失した。なかでも陸軍被服所は4.400死者がでた。人が避難して集まったところに火災旋風が起きた。炊き出した米が230トン、153万人にのぼった。アメリカや外国から応援援助活動があった。食品、医薬品など赤十字を通じて送られた。その被害が55億円で国家予算の実に4倍にも達した。このさなかにあっ悲劇が起きた。朝鮮人が「井戸に毒を入れた」という噂が広がって朝鮮人6千人、中国人200人が虐殺されるという事件が起きた。また左翼の指導家大杉栄が虐殺された。大正モダンも一日で消失したのだった。
 さて、老人と大震災についてである。少子高齢化社会で高齢者が4割ばかりになっている東京では、もし大震災があればその犠牲者が多くなるだろう。高齢者にとって都市は便利で住みやすい。しかし大震災のことを考えるならば郊外に移住したほうがよい。たとえマンションであっても安全とはいえないだろう。これから老人の住むところは郊外か地方都市である。それは両方ともいいことではないか。富山市は都市生活者を誘致していると聞いたことがある。東京は物価は高いし、住宅も高いし、隣近所との関係は薄く、道路は階段が多くて狭く、雑踏に押し流され、隣の人は何する人ぞ、と無関心である。東京は老人にとつて、また障害者にとつて住みにくい町であると言えばきっと反論がある。余計なことだ、と。人はなじみの群れから離れると、孤独になり不安だからだ。動物の安全本能である。つまるところ良い解決策はみつからない。

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7.昔と変わらない悲惨な国民

 夏目漱石は。明治44年(西暦1911年)「現代日本の開化」のなかで、文明発展の欲望にかられて、倒れるまで働く日本人について「随分と悲惨な国民と言わねばならぬ」と書いている。それは現在も変わらない、日本人の働き方である。漱石は悲惨な国民として嘆いているのだけ、だけだろうか、文明開化の欲望という目的が日本人をかりたてていた。文明開化は豊かな生活の手段であった。国内では人口が増加して、経済的な競争が内外ともに激しくなり、この小さな島国で、しかも資源の少ない国で、生き残るためには、悲惨と言われるほど働かなくてはならなかった。その悲惨のしわ寄せは下層の人たちに覆い被さった。例えば紡績工場の若い女工たちは、肺病になって村に帰ってきた(柳田国男)。 それでも大正から昭和にそして平成にと、この働き方は引き継がれている。過労死はその氷山の一角である。その悲劇は中間管理職に現れている。上級管理職は無理難題を中間管理職に強いて、中間管理職は現場に無理を強いている。現場は非常に不満である。その現場はパートやアルバイトに無理強いをしなくてはならない。我が国の労働生産性が先進国で最下位であるのは、ここにある。現場のサボタージュがあるからだ。喜んで進んで働こうとする労働者は少ない。その問題の一端に人件費の削減がある。株式上場の企業の有価証券報告書を見ると、一人当たりの給与が非常に低い。さらに福利厚生費が少ない。福利厚生費を記載していない企業がある。とくに連結会計で子会社をもっている企業に多い。かんぐれば、福利厚生費の適用をさけたり削ったりしている。とにかく人件費を削って純利益をあげている。これは労働者の犠牲のうえでの利益である。およそ経営者は私利私欲に塗れた人が多すぎる。労働組合の組織率は1割ぐらいと低く、労働者の37%は非正規労働者である。労働者の保護は政府に頼らざるをえないのが現状である。
 政府の働き方改革は管理職や高級専門職ばかりではなくて、現場労働者の副業を認めることになっている。こうなると低賃金がいっそう横行するだろう。低賃金の従業員達が不満を持ちながら黙々と働いている様子をみるにつけ、その会社のトップの顔を見たいと思うのは消費者だけではない。従業員は「どうせ言ってもだめだ」と諦めと不満を持ち続けているが、それを助ける労働組合は御用組合である。これは現代における悲惨な労働であって、かっての女工哀史の現代版である。従業員を大切にする国は発展する国である。労働者に夢と希望を与えることが企業の社会的な責任である。

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2019年3月13日 (水)

6.漱石の個人主義

6.漱石の個人主義
 漱石は文明論で、文部省から博士号授与を告げられて、辞退した。その理由は「権力や金力は他人の個性を圧迫する非常に危険な道具であり、自己の個性の発展を仕遂げてやろうと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない」と書いている。そして、気に食わないから博士号を取り戻す、ということがあればこれもまた不愉快なことであるという意味のことを書いている。およそ凡人は博士号や叙勲などをいただくこと名誉なことだと喜ぶものであるが、それをもらったところで、本人の自尊心や独立心が圧迫されるようでは、かえって本人の個性を発展させるにおいては障害になる。なぜならば、おのずから轡(くつわ)をはめられた人間になり下ってしまうからだ。自分はそのような権力には近づかない、個人主義である。個人主義は自己の個性の発展のためにある。個性の発展の目的は、なにかを成し遂げたいという目標がある。それを邪魔されたくない。もしそのように思うならば、他人の個性も尊重して、博士号は与えるべきではない、ということだ。とこが文部省では一度出したので引っ込めるわけにはいかず、そのまま保留することになった。もし漱石が受け取っていたら、自由に文明論は書けなかっただろう。

 ところが個人主義について、こんなことも書いている。世の中の全体が動くときは、あるていどそれに合わせて個人主義を抑えなくてはならない。それは丁度、寒暖計のようなものである、常識的なことを書いているから、あくまで彼の言う個人主義は学問とか、研究課題における個人主義であり、個性の発展がなくてはそれらをなしとけることはできない、ということだろうか。
 漱石のいう個人主義について、学習院にて講演した要旨を以下に紹介したい。

 病気だったので、講演依頼を断ってきた。不愉快なことがあったので絵を描いてボンヤリと見ていた。また不愉快でしたから文を書いていた。これが一致していた。落語家の話で、大名が二人、メグロあたりで食ったサンマがうまい、秋は秋刀魚にかぎるねという話である。それと同じで、物めずらしく私の講演を聴きたいとのことではないか。僕は学習院の教師になろうとしたが落第してしまった。その時に新調したのがこのモーニング服である。
 松山の中学校で、「坊っちゃん」の赤シャツは自分です。それから熊本の高等学校に行ったらイギリス留学を命じられた。英文学の専門で、分からずしまい。教師に興味がなかった。どういってよいのか分からなくて不安だった。
 文学とは何か、自力で作り上げる以外、私を救う道はない。西洋の人が言ったことをうのみにしているのでは、自分の血となり肉としない。私は独立した一個の日本人、決して英国の奴婢ではない。世界に共通な正直という徳義を重んじている一人であり、自分の意見を曲げてはならない。英国の文学に対しても自分考えは合わない。なぜか、風俗、人情、習慣、国民の性格が違いが原因である。そこで自立立脚のために関係のない本を読んだ。「自己本位」の本であり、それによって自己本位を得てから強くなった。西洋の尻馬に乗らない、と決めたら不安が消えた。そしてロンドンの町をながめた。留学一年にして、とても外国では私の今の事業をしあげるわけにはいかない。本国に帰って立派に始末しょうと思って帰ったところ、衣食に困って雑誌などくだらない創作を雑誌にのせなくてはならなかった。しかしながら、自己本位というその時に得た私の考えは依然として続いています。
 自分が主であって、他は賓であるという信念は、自分に自信と安らぎを与えた。
在来の古い道を選んでいって、自己の安心と自信がしっかりついているならばそれもよいでしょうが、もしそうでないとしたら。自分の一人で自分の鶴嘴で掘り当てるまで進んで行かなくていけないでしょう。自分の安心はここにあったと見つけるまで進む、海鼠のような精神でぼんやりしていては、自分が不愉快ではないかと思う。それができなくては一生不安をもって生きて行かなくてはなりません。個人主義は淋しい、しかしそれを尊重するには耐えざるをえない。
 煩悩があなた方の場合にも、しばしば起きるに違いない。違いないと私は鑑定している。「ああ、ここにおれの進むべき道があった!」と、ようやく掘り当てたら、自分の人生において、安心と自信を得ることができる。あなた方自身の幸福のために、それは絶対に必要である。もっとも進んだって、どう進んだらよいか分からないならば、何かに打ち当たるまで行くよりほかに仕方ないのです。ぼんやりしないで勇猛に進みなさい。

 つぎに権力と個人について話します。
 学習院の学生は貧民ではない。卒業したら権力を使う身分になる。権力とは、自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧しつける道具である。{金力}権力は、他を威圧する手段に使われて危険である。自他の区別を忘れて、どうかおのれの仲間に引きずり込んでやろう、支配下におこう。自分の自我は認めても、他人の自我は認めようとしない。
 いやしくも、公平の目を具し、正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他に与えなければ、すまんことだと私は信じて疑はないのです。
 我々は他が自己の幸福のために、己の個性を勝手に発展させるのを、相当の理由なくして妨害してはならないのです。

 教師は生徒を叱る、叱るならば教えることに骨を折るべきである。

「金力」について話します。カネは何でも実現できる。人間の精神まで買うようになる。人間徳義を買い占める。すなわちその人の魂を堕落させる、その道具はカネである。
 自己の発展を仕遂げてやろうと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない。自己の所有している権力を行使しようと思うならば、それに付随して義務というものを心得なければならない。自己の金力を示そうと願うならば、それに伴う責任の重さを重んじなければならない。この背景にあるのは、人格の支配を受ける必要が起きてくるということです。もし人格のない者が権力、金力をにぎったら、行使したら、と考えてください。

 義務心を持っていない自由は本当の自由ではない。イギリスには自由と義務がある。イギリスでは自分の自由を愛するとともに、他人の自由を尊敬するように教育している。
ネルソンは、England expects everyman to do duty。

 個人の自由は、個性の発展上きわめて必要であって、その個性の発展がまた、あなた方の幸福に関係あるのだから。他人に対しても、僕は左を向く、君は右を向く、その自由はおたがいにみとめあうこと、これが個人主義です。他の存在を尊重すると同時に、自分の存在を尊重するということ、これが立派な個人主義です。

 国家と個人主義について、個人主義は国家の安危に従って上下する。安であれば上がり、危であれば下がる。国家存亡の危機になれば、それを向かうことは当然のことである。これを常時、国家存亡の危機と言って、個人の自由を束縛するのはごめんである。今夜豆腐が食べたければ食べたらいい。食べることで国家のためになっている。

 

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2019年3月11日 (月)

5.即天去私

5.即天去私
 夏目漱石が晩年の未完の代表作「明暗」執筆のさなかに、座右のことばとしてあったのが、この四文字である。このまま読めば、天にのっとり私を去る、ということで、天は自然である。自然に従って私、すなわち小主観小技巧の私を去れという意味で、文章はあくまで自然であれ、天真流露なれという意であると書いている。天は真実である、流れる露のごとくなれ、という意味である。
 僕はもっと深い意味があると思っている。漱石がこの小説を書いている時期は死を知る人生の終わりであった。その時、なにが浮かぶだろうか。漱石は漢詩を深く理解した人だった。当時中国の人が漱石の漢詩にほれこんだという逸話がある。文字の真なる意味を理解することはひじょうに難しい。漢詩をやさしく書いてはその真意は伝わらない。その漢詩をどのように汲み取るかは人それぞれである。そこに広がりがあり深みもある。それが分かる人はそれを受け入れることができる文化をもっているのだ。
 文化は文字である。文字はその国で長い間かかってつくられてきた文化そのものであるから、よく考えて理解するようにならなれば真実はわからない。ただやさしく、凡人にわかればよいということでは、なにもその国の文化は伝わらない。テレビで聞くことばに、日本の文化があるだろうか。教師が学校で教える文字に文化があるだろうか。漱石の”即天去私”は日本の文化から生まれた漢字であって、中国の漢字の文化から生まれたものではない。僕をこれをまとめることはしない。ただ問題提起しただけだ。堅い話はこれまで。

 夏目漱石は鎌倉の円覚寺の帰源院で一週間座禅を組んだという。
○鐘つけば銀杏ちるなり建長寺 漱石
 (建長寺は円覚寺の近くにある禅寺)
○柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺 子規
よく似てますね。

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4.老人になったら

4.老人になったら
 老人は前期高齢者(65歳から75歳まで)になったら、いよいよ高齢者の仲間に入るのだから、人生でやり残したことを、まだ心身共にややむりがきけるこの時期に、やり遂げることが必要である。多くの人は会社や官庁など退職して、これからゆうゆう自適な生活に入る喜びをもっていても、いざその時になって、するべきことが見つからないで、いらいらすることにならぬと限らない。いえにこもって夫婦喧嘩しても、老人のそれは面白くない。役目を終えた者どうしがいつも顔をつきあわせていても、しょせん、男と女の初老、なんの刺激もないだろう。女はこんな年になると何か人生の置き忘れを発見することができるが、不精者の男はそうはいかない。ゴルフ、テニス、登山などの趣味もあるが、これは邪道あって人生にとってやり残したことではないだろう。男が人生でやり残したことは、やはり男としてこうありたいと思い長年、実現できなかった精神的なことがあるはずだ。それはいまさら肉体的なことではないはずだ。
 男は仕事を本業しているいるなかで、精神的なものがいつも伴わないで、いつも本業のあとについてきた、そんなものがある。それは自分の隠れたコンプレックスになっていた。それがいつも後から陰になってついてきた。それは隠れていて、めったに人に見せるようなことはしない。陰である。その陰を隠して、強がりを見せたり、弱気になったり、仕事の本業の中でもかいま見せることがことがあった。表はよく見えても裏は醜いかそれとも見せたくない恥部であっり陰であった。それは他人には言わない自分だけの隠れた秘密であった。それがこのまま老人になっていくとした、なにも解決しないで人生の終わりを臨むだろう。人生でやり残したこと、それが男ならばあるはずだ。
 それをやるのはこの初老に入った10年間である。無為な初老をおくらないこと、もしそうであったら後期高齢者に悔やむだろうから。なにもない後期高齢者ほどつまらないものはないのだ。ただ死を怖れて生きてだけだから。老人になったら精神が充実した人間になることだろう。精神の充実は老人の時期であって、精神の充実した人は、この期間に形成している。そのような偉人は言わない方がよい、ひとそれぞれであるからだ。

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